裏 HS Works

日常の痛いひとりごと

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2011.01.12 Wednesday

Mick Karn について

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    JUGEMテーマ:音楽



    ※ HS Works に書くべきか、blog に書くべきか迷ったけれど、読み物的になったのでこっちに記載します。

    いきなり年明け1月5日の朝に訃報が twitter 上に流れた。
    亡くなったのはイギリス現地時間で1月4日、16:30だった。

    昨年6月に HP で肺癌であることを告白。その後まともな治療ができないキプロスからイギリスへ移った。
    それからミックの友人達、ファン達による医療費捻出のための Paypal での寄付の呼びかけも始まった。
    HP には本人の容態の報告や、ファンの励ましのメッセージのやりとりが続いた。
    日本でも佐久間さん、土屋さん、屋敷さんなどが寄付を呼びかけた。
    知ってる人は知ってるが、ミックは The d.e.p. ( ビビアン・スーが Vo の日本のバンド ) のベーシストでもあった。
    少しずつ良くなってきているような報告があったかと思ったが、正月気分も抜けない日本時間では5日の朝っぱら、
    twitter で訃報を知った。享年52歳だった。

    彼は1958年、キプロスの生まれ。
    高校時代にデヴィッド・シルヴィアンとスティーヴ・ジャンセンのいぼ兄弟と出会い74年に Japan を結成。


    << Japan / Album >>
    1978年・ADOLESCENT SEX ・OBSCURE ALTERNATIVES
    1979年・QUIET LIFE
    1980年・GENTLEMEN TAKE POLAROIDS
    1981年・TIN DRUM
    1983年・OIL ON CANVAS


    当初はグラムロック的なアイドルバンドだったが、3枚目で何かが変わり、4、5枚目で実力派バンドへ転機した。
    デビッドは教授に、スティーブは幸宏さんに、ミックは矢野顕子さんに鍛えられYMOファミリーになった。
    特にスタジオ録音最後の TIN DRUM は、80年代の名機 Sequential Circuits / Prophet 5 を極限まで使い、
    あり得ないミックのフレーズとデビシルの低音ヴォーカルで若くして達成しちゃった感があるアルバムを完成させちゃった。
    このアルバムのツアー後、Japan は解散した。
    解散の理由は色々言われてたけど、直接本人達に聞いたわけではないので分からない。
    まあ、デビッドとミックの確執みたいなことは容易に想像できたけどね。。

    その後デビッドとミックは各々順当にソロアルバムを出していく。
    ミックの2枚目のソロアルバムで、和解しては喧嘩するロッド・スチュアートとジェフ・ベックよろしく、デビッドがゲストで2曲歌っている。

    気が付かないんだよね、みんな人気が出ると俺一人でやっていける。って思っちゃうんだよ。
    君たちは一緒に演ってたから人気になれたんだよ。って、昔からバンドの行く末はそうじゃないか。。


    << Mick Karn / Album >>
    1982年・Titles
    1987年・Dreams of Reason Produce Monsters
    1993年・Bestial Cluster
    1985年・The Tooth Mother
    1997年・Collector's Edition ( Best )
    2001年・Each Eye a Path
    2003年・Each Path a Remix ( Remix )
    2003年・More Better Different
    2006年・Three Part Species
    2007年・Selected ( Best )
    2010年・The Concrete Twin

    << Midge Ure & Mick Karn >>
    1983年・AFTER A FASHION

    << Dalis Car >>
    1984年・He Waking Hour


    おいらはギター弾きだけどさ、ミックのベースはコピーした。
    安いベースを買ってフレット引き抜いて木くずを埋めてフレットレスにして。笑

    1枚目は笑った。パーシー・ジョーンズとも違う。めっちゃ変なのにパターン化されてるからそうなんだ。って思わせられる彼、
    独特のフレーズ。

    2枚目はデビッドがゲストで2曲歌ってるんで安堵感がある。Buoy は永遠の名曲!
    3枚目からはどんどん独自ワールドになっていくんだけど、デビッド・トーンとやるようになってフリー系ジャズっぽくなるのかと
    思いきや、ビル・ラズウエルみたいになるわけがなかった4枚目が好き。笑

    元ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロとのユニット、元バウハウスのピーター・マーフィーと結成したダリズ・カー以外にも、
    YouTube で検索してると色んな人とやってたんだね。
    矢野顕子、土屋正巳、SUGIZO、ケイト・ブッシュ、ゲイリー・ニューマン、ハワード・ジョーンズ、その他にも。。。
    デビッド・トーンのバンドではビル・ブラッフォードやテリー・ボジオとも共演!
    まあここでもトニー・レビンみたいにはなんないわけだけども。笑


    << RAIN TREE CROW >>
    1991年・RAIN TREE CROW

    << JBK >>
    1991年・STORIES ACROSS BORDERS ( Jansen / Barbieri 名義だけどミックも参加 )
    1993年・BEGINNING TO MELT
    1994年・SEED
    1995年・STONE TO FLESH
    1999年・_ISM
    2001年・PLAYING IN A ROOM WITH PEOPLE ( 97年の Live )


    ソロの合間にも、RAIN TREE CROW って言うユニットできれいな生演奏のアルバムを出した。
    これ、実質 Japan の再結成だと誰もが思ったんだけど、デビッドがとある写真家の作品に感銘して作ったコンセプト
    アルバムで終わっちゃった。。

    その後デビッド以外の3人は Jansen / Barbieri / Karn 通称 JBK として数枚アルバムをリリース。
    まあそれでも食っていくのは厳しかったんだろうね。。


    結局はね、誰とコラボしても目立っちゃうから2度目が無いっていうか、独特過ぎて雇い主を食っちゃうからなあ。笑

    昔 Japan の頃、ミックになんで眉毛を剃ってるの?ってインタビューで、「いらないから。」って返答だった。
    本人がいらないってんだからねえ、そうかー。って思ったのを覚えてる。

    いつかミックと共演するのが夢だったおいらにとって、もの凄くうらやましい人が居る。↓



    SUGIZO さんは俺なんかよりもずっとミックと親しかった分、悲しみも大きかったんだろうな。
    ミックの奥様は日本人だから仲良くなるのも早かろう。


    こうやって振り返るとなんだかんだ背中を見てたり、最近はどうしてるのかな?と探ったり、ミックのことはずーっと気に留めて
    いたんだけども、最後は肺癌という悲しい結末だった。
    でも彼の勇士は YouTube などでいつでも見れるし、これからもちょいちょい振り返ってみるんだろうな。
    みんなもそうだろ?

    そんなわけでミック、今までありがとう、そして安らかに。。合掌。

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